越後の歴史を見まもり続ける、悠久の杜。
かつて越後の国を治めた長岡藩の要となった長岡城。その本丸の一画に鎮座していた神社こそ、この蒼柴神社です。
「お山」という愛称で親しまれる悠久山に遷座した現在でも、越後長岡の人々を見まもり続けています
ご祭神
●牧野駿河守源忠辰(まきのただとき)
長岡藩の三代目藩主。長岡中興の祖と敬慕された英主で、事代主命(えびす様)をもっとも崇敬していたことから蒼柴霊神、のちに蒼柴大明神の神号が贈られます
●配祀
事代主命(ことしろぬしのみこと)
●合祀神
天照皇大御神(あまてらすすめおおみかみ)
白山比売神(しらやまひめのかみ)
年表
享保七年、長岡藩四代目藩主牧野忠壽公が長岡城の本丸に一社を建立します。そして天明元年、九代目忠精公が現在の社殿を造営し、悠久山に遷座しました
その後、幾たびの窮状に見舞われますが悠久山・蒼柴神社の歴史は途切れることなく続いていきます
1722 |
四代目忠壽公が長岡城に社殿を造営する。 |
1769 | 九代目忠精公が城東の三官山(現在の悠久山)に新たな社殿造営の工事を始める。 |
1781 | 現在の社殿が竣工する。 |
1800 | 第百十九代光格天皇より蒼柴大明神の御勅額を賜る。 |
1868 | 戊辰戦争勃発。官軍による進撃を受けるも、光格天皇の勅額によって焼失を免れる。 |
1871 | 神仏分離令によって蒼柴神社と改める。 |
1917 | 長岡令終会の働きかけにより、悠久山公園を造成する。 |
1945 | 長岡空襲。周辺施設は焼夷弾により焼失するも、社殿は焼失を免れる。 |
1971 | 奈良一刀彫師・竹林薫風氏が伊勢神宮の楠で彫刻した恵比寿神像を安置する。 |
2004 | 新潟県中越地震発生。鳥居や灯篭がほぼすべて倒壊するも、社殿は倒壊せず。 |
2006 | 国登録有形文化財に指定される。 |
ご神紋
三つ葉柏
牧野家の家紋でもある三つ葉柏紋が蒼柴神社の神紋です。柏は新しい芽が出るまで落葉しないことから「代が途切れない」という縁起物としても有名です。